あけましておめでとうございます。2017!

今年もやまにヒグラシ堂,クリエイターズビレッジをどうぞよろしくお願いします。

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少しだけ山形の実家に帰りました。

去年に引き続き,とても雪の少ない山形の正月でした。やっぱり雪は減ってきてるのかね?地球温暖化ですか?

子どもの頃の景色とは違くなってしもた。

甥っ子が,完全に自分の意思で,文章で言葉を喋ってくれておじさんは感動。2歳半から3歳くらいのこの時期が,もしかして可愛さのピークなんじゃないだろうか?
最高すぎるわ(*´з`)

短い両手を伸ばしてだっこをねだられるときのあの幸福感は,何なんでしょう。

子どもにとっては,ただ高い景色を見たいという欲を叶えるためのなんてことない普通の行為なんだろうけど,ねだられた方の大人にとってはもう幸せでしかないよね。ありがとうございます。甥様。

味噌汁のことをおみおつけと言い,御御御付けと書いたりするが,御御甥様と呼びたい気分である。

 

うちはじいちゃんは2人とも既にこの世には不在で,ばあちゃんは2人とも健在であるが,同居でなかった方のばあちゃんは今は老人介護施設にいる。
地元に帰ったときは可能な限り訪ねることにしている。

それは僕がいまここにこうして存在している原因である人だからだ。

日々泣いたり笑ったり怒ったり,苦しかったり幸せだったり,この地球の上であらゆる感情を味わうことができるのも彼女が存在しているからこそだ。尊いのである。

今回も仙台に戻る途中に寄った。元気だった。良かった。

もう自分で歩くことはできないし,最近はぼけが進んできたという。

だけど僕が訪ねて話をしている時,ぼけているなどと感じたことはこれまで一度もない。ちゃんと覚えてくれている。名前も。今住んでいる場所も。

「仙台も寒いがや?雪は降ったが?」

なんて聞いてくる。ちゃんと覚えてくれている。

ぼけ防止のために毎日俳句を書いているそうだ。施設内のイベントにも積極的に参加しているらしい。正月の生け花がとても上手だった。

なんてことのない会話を15分ほど交わし,最後に皺皺の手を握って,帰る。

人間がこの世に物質として存在していなければ絶対にできないことは,触れること。

そして生きていなければ絶対に感じられないものは,温度。

ずっと生き続けてきたその手には,確かに触れることができて,そして温かい。

 

あと何度会えるのかは,分からない。

次に会ったときだって,きっと同じように少し会話をして,手を握って終わりなのだろう。

そしてそんなことを何度か繰り返しているうちに,ばあちゃんは逝ってしまうのかもしれない。きっとそうなのかもしれない。

そんなことを考えると,とても空しい気持ちになったりするのだけれど,では他に何が出来よう?

そしてばあちゃんには何か他に望みなどあるだろうか?

 

会って,目を見て,話して,触れる。

きっとそれがばあちゃんにとっても僕にとっても一番いいことなんだと,勝手に決めつけて,これからもそうすることにする。

 

私が死ぬときには,どうかポックリであってほしい。

笑っている最中に,ポックリであってほしい。

最高の仲間とお酒を飲んでいる時でもいい。愛する人の隣で寝ている時でもいい。音楽を演奏しながらでもいい。

死に方を決められないのはいささか残念ではあるが,なるたけその確率が上がるように努力はしよう。

笑ってポックリ死にたい。
その時の周りの人にはちょっと迷惑かけちゃうしびっくりさせちゃうけど。

 

年末に読んだ本に,山形の冒険家,大場満郎さんの『笑って死ねる人生がいい』がある。

数年前に借りたにも関わらず読んでいなくて,そろそろ返してと催促されて慌てて読んだのだ。すみません。

この本が今の自分にとってとても良くて,どんどん勇気が湧いてきた。

本にはきっと,読むべきタイミングがあるのだ。今だったのだなぁ。…すみません。笑

やりたいように人生を生きなければ,決して笑ってなど死ねない。
そんな本です。

誰に何と言われようと,誰に笑われようと,自分で決めた道を歩く。

私が誰かのためになど生きてしまったら,一体誰が私のために生きてくれる?ぽっかり空いた私の人生は何処へ行く?

私は私のために生きなくてはならないのです。

 

僕の実家は正月には結構来客があって宴会を開いているのだが,あるおじさん(昔から知ってる)が僕に,

「お前は長男だし,周りや親はお前のごど心配して色々言うげど,なんにも気にすっこどねえぞ。お前のしってごどしろ(したい事をしなさい)。」と言ってくれた。酔っぱらって何度も繰り返し言ってくれた。

僕も酔っぱらっていたけど,読んだばかりの大場さんの本のこともあって,胸にこみ上げるものがあった。

そのおじさんは本当は違うことがやりたかったらしい。
でもその時代の田舎では親に勝手に仕事を決められたのだという。職人になれば食いっぱぐれないからという理由で,みんな何かの見習いになり,やがて職人になったのだそうだ。

今のこの時代に日本に生まれたということはつまり,自分の道は自分で決めなさいと言われているようなものだと思う。

同じ日本でも,時代が違えばこうではなかった。現在であっても,国が違えば自分の意志では何も選べないところもある。

しかし現在の日本が,100%幸せかといわれれば必ずしもそうではない。

ずーっと前にも書いたが,選べない幸せというのも存在すると思う。

先のおじさんだって,自分の希望の道とは違ったけれど,立派な職人になることができた。

むしろ現在の日本の方が,幸せに生きるのに難しい面もあったりするのかもしれない。

無限の選択肢。そして自分で選ばなくちゃいけない。

だけど今の日本はそういう時代だ。
自分で選んで,進んで,その上で笑えなくちゃ意味がない。

 

ということで,2017年,頑張りましょう。←( ゚Д゚)!!!!

早くこのブログを締めたくなってきたのだ。すみません。

何を書いているのか分からなくなってきたのだ。すみません。

 

もちもちの2歳の頬っぺたも,皺皺の90歳の手も,おんなじ時代の中にいる。

会いたい人には会いに行って,さわれる人にはペタペタ触れておきましょう。