チキンライス
こんにちは。
メリークリスマス!(゜o゜)
やまにヒグラシ堂2016,本日最終日です。
今年もどうもありがとうございました。
1年が本当にあっという間すぎて,やばいです。
あっという間すぎて,泣けてくる。
そして笑えてくる。
やばい!死ぬ!
と思いました。
1年がこんなにあっという間なら,一生だってあっという間さ。
あと何度,本当に笑えるだろうか!
笑いたい,笑いたい。毎日笑いたい。
生きる意味とは何かとか,人は何故生まれるのかとか,永遠のテーマともいえることを,高校の時あたりから,無い頭でずっと考え続けてきたけれど,「笑うため」以外にはどうしても見当たらない。
その問いには答えなんてない!といわれるほど壮大なテーマであるがゆえに,答えを探すことは無意味かも知れないし,考えることすら野暮なのかもしれないけれど。
そんなことを考えて考えて神経をすり減らしてる暇があったら,ただ,「生きれば」いいのだ。
どうしてもその答えが気になるなら,これだ!と仮定してしまう他ない。
腑に落ちる答えはいつだって「笑うため」。
人は笑うために生きる。
愛想笑いや作り笑顔は,笑うことに入りません。
お笑い芸人は,すごい。
YouTubeで,お笑い芸人のネタを何時間も見漁ってしまうことがよくある。
笑いたいのだ,わたしは。
元々そこに無かったものを創造して形にするのが,アーティスト。芸術家だ。
お笑い芸人は,すごい。
そこに存在していなかった笑いというものを,生み出せるのだから。
人は笑うために生きる(仮定だけど)のだから,笑いを作り出せるお笑い芸人は,もはや神様ではないか!
…いやいや,お笑い芸人だっておんなじ人間だ。
笑いを作り出すために,笑えない努力をしている。
食っていけるのは一握り。
必死で,命がけで,人生をかけて,笑いを作り出そうとしている。
でもその必死さが前面に出ていては,芸としては成立しない。
お客は,笑えないのだ。
芸人は皆必死で,人生をかけていることは誰もが知っていて,そんなことは前提に,お客はただ笑いたいのだ。
無い笑いを作り出すのはとても難しくて,尊いことだなと思う。
まったく余裕が無くても,余裕ぶらないといけないのだ,芸人は。
余裕ぶってないと,笑いは生まれないからだ。
尊いです。お笑い芸人。
「情熱大陸」とか「プロフェッショナル」みたいな番組で,普段大いに笑わせてもらっている芸人が,まじめに出演しているのを見たりすると,あぁ,やっぱり神様じゃなくて人間なんだなぁと思ってさらに好きになることがある。
「笑う」という現在形の動詞。
この現在形は普段の生活の中ではあまり意味をなさないものだと思う。
笑いは,過去形(ed)か可能性(can)でしか表せない。
「笑った」,「笑える」,「笑えた」。
つまり,人は笑って「しまう」ものなのだ。笑ってしまったときに,大きな幸せを感じる。
現在形の「笑う」は,自分の意志で,笑おうとして笑うときにのみ適用できる。
愛想笑いをするときや,誰かに微笑みかけるときなどだ。
ああどうか,2017年,笑えます様に。
この先の人生,ずっと笑えます様に。
この人生の全てが,どうか,どうかギャグであります様に。
ただただ全部ギャグであります様に。
良いお年を!
次回オープン日は1月7日土曜日です。