林檎とApple
こんにちは♪
今日は勝山館のめっちゃうまいピッツァを食べたので大満足です(・ω・)
ところで,これは何ですか??
これはりんごです。当たり前です。
でも英語しか話せない人はこれを,Appleと言うでしょう。当たり前です。
だけど,りんご=Appleではないです。
これは100%間違いなくりんごだし,100%間違いなくAppleです。
でもりんごとAppleは違います。
もしかしたら99.999%は同じかもしれません。
だけどどう頑張ってもそれが100%にはならないということです。
りんごはりんご。AppleはApple。
りんごはAppleじゃありません。
だから日本語しか話せない人は英語しか話せない人の言葉を100%同じように理解,共有することはできません。
和訳された英詩も字幕を読みながら見る外国の映画も,その内容をネイティブの人と全く同じ気持ちで理解することはできません。
英和辞書だって,それぞれの単語の意味は,ほぼ当てはまっているかも知れませんが全てが不完全です。
それが完全になることはあり得ることではないですから。
そして完全を欲するのは全くの無意味です。
他人と一緒に生活するということも同じようなことなのかなと思いました。
どれだけ長い時間を共にしても,あいつのことはなんだって分かると思い合っていても,自分以外の他人を100%理解することは誰にもできません。
自分は自分という領域の中でしか生きられません。
他人の領域に足を踏み入れることは不可能です。それが血の繋がった家族であっても。
100%同じ気持ちで共に生きていくことは誰にもできません。
そして他人との完全なる一致を欲するのは全くの無意味です。
[…] 以前もりんごの話を書きましたが,英語や他の外国語を100%日本語で表現するなんていうことは不可能です。 […]