やっぱりタマシイなのか!?

こんにちは。

仙台はもう葉桜ですね。

短し,さくらの季節よ。

ひらひらと一枚ずつ舞い落ちる花びらの中,自転車をこいでくるのもなかなか乙でした。

 

世の中不思議なことはいっぱいありますね。宇宙のこととか,UFOとか,心霊現象,怪奇現象,空は何故青いの,とか。

逆に科学的なことはすんなりと腑に落ちる。この部品とこの部品がこうゆう風につながってるから動くんだ!とか,電気が通ってるから光るんだ!とか。

でも,ずっと,一番不思議に思ってたことがあって,それは,生命は,人間は,なんで生きているの?どういう原理で動いているの?ということです。

だって人間の体はほとんど水でできてるんですよね。あとは炭素とかカルシウムとか…

それで,なんで動くん?どないなっとるん?なんで脳は考えたり思い出したりできるん?なんで心臓は勝手に鼓動するん?水やん。

そして人体の構成成分は分かっているのに,これだけいろいろと進歩してても科学的に作り出すことはできないんですもんね。(もしかしたらもうできるのかもしれないけど)

不思議だなぁ。

それから,「死」について。

例えば死ぬ一秒前の肉体と,死んだ一秒後の肉体。

科学的に,その構成成分は何も違わないはず。水素があって酸素があって炭素があって。。。

でも死の直前と直後では,明らかに,違う。全然,違う。

何が?何が違う?

なんでこれで動くのかが不思議と先に書いたけど,逆に,おんなじ成分なのになんで動かなくなるん?どしたん?急にどしたんや!

まぁそうやって動かなくなって,喋らなくなって。それをもって「死」ということになるんだろうけど,死とは一体なんなんでしょうね。

水とか炭素とか,人はそれらでできているのに,それらを集めたところで人にはならない。
死の前と後では,成分は一緒なのに状態は全く違う。

となると。。

やはり,「魂」ということになるのではないでしょうか。。。タマシイ。

宿っているのでは,ないでしょうか。。たましい。

 

本当かどうかはわかりませんが,死の直前と直後では物理的な変化が1つあるといいます。

死の瞬間に,体重が21g減少するのです。つまりその21gが,魂の重さと言われているのです。

 

以前,スピリチュアルな方から,こんな話を聞きました。

「死は,車の廃車と同じ。今の車がダメになったら新しい車に乗るように,今の体がダメになったら,魂はまた新しい体に宿って生まれてくる。その繰り返し。運転してるのは魂。だから死は怖いことではない」と。

生きる意味とか死ぬこととか,やっぱり常にいろいろ考えちゃいますから,それを初めて聞いたときは,なるほどなーと思って少し気が楽になったような気がしたんですが,ん??待てよ?とも思いました。

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今の僕の車。すんごくオンボロで,きっと先は長くないのだろうけれど,好きだ。廃車になったら,悲しいよ。

そして車自身にとっては(車に意思があればの話だけど),廃車はもう一巻の終わりです。もう,全て,それでおしまい。

同じように,この今のこの体は,この肉体は,ただの一度きり。

魂が生き続けるかどうかなんて,この肉体で生きているうちには知り得ないこと。そしてたとえ魂が死なないとて,この肉体はいずれ終わる。

だとすれば。

そんな知り得ないことは置いといて。

死んだら一巻の終わり。死後には何も無い。無。今生こそが全てである。という考えで生きた方が,よっぽどいいのかもなと思いました。

死んだら終わりです。

肉体は当然この世から無くなる。タマシイは,在るのかも知れんがそんなことは知らん。来世など知らん。

死んだら終わり。

だから生きる。

死ぬまで生きる。

想いの丈,全て,今生にぶつけるのだ。

使い果たして,終わろうではないか!