無いものねだり。

こんにちは!

 

今日の仙台はあんまり寒くないですね♪

真冬の中でも,たまに穏やかな日がやってきて,一瞬だけ春を感じられるような日が好きです。

 

人はどこまでも無いものねだりな生き物だなぁ,と,昨年は本当にそれをずっと感じながら過ごしていました。

今は冬だから,暖かい春や夏にあこがれるのです。

暖かい季節になれば,趣深い秋や,寒い中みんなで過ごすクリスマスやお正月が待ち遠しくなるのです。

自分と比べて他人はいつだって楽しそうで,と同時に自分は他人から常に羨ましがられるものです。

 

ここには無いものだけが欲しい生き物なのです。人間は。

欲しい欲しいと待ち望んでいたものを,手にする瞬間もたくさんあります。

だけどそれを手にしてしまった瞬間に,それはもはや欲しいものではありません。

また別の,ここには無いものが無性に欲しくなることでしょう。

そして私たちはそういったことを何度も何度も繰り返し,経験上それを知っているのに,いつだって無いものだけが欲しくなります。

 

なぜなら何かを欲しているとき,来たる日を待ち望んでいるときこそが,幸せで,ときめきで,青春だからです。

一体どうすればいいというのでしょうか!

何も手に入れずに,憧れ続けることが真の幸せなのでしょうか??

お金では買えないもの,手には触れられないもの,例えば時間や記憶,愛といったものを手にすることが本当の幸せなのかもしれないとも考えましたが,実はそれすらもきっと無いものねだりです。

忙しい日々にはあんなに欲しがっていた「時間」すら,実際に手に入れれば持て余してしまうこともあるし,記憶だって,現在を生きていくには必要ないこともあるし,愛だって,手にしてしまえば当たり前になって忘れてしまったり,蔑ろにしてしまうなんてことも往々にしてあります。

だから本当の大切さを知るためには,それを失くしてしまうのが一番早いのかもしれませんね。

結局無いものねだりです。

世の中には,相反する対がたくさんあります。

光と影。男と女。在ることと無いこと。

 

自分が所属する方でない方にいつも惹かれます。

死ぬことに憧れる人はあまりいないとは思いますが,それはもしかしたら,ひょっとしたら,生き切っていない証拠かもしれません。

毎日振り切れるほどに,擦り切れるほどに生きていないということかもしれません。

日々を生き切っている人にとっては,死ぬことなんて恐れるに値しないことなのかもしれませんし,幸せに生きるためには実はもっともっと死ぬことを強く想わないといけないのかもしれません。

必死に生きるのです。

「死にたい」人というのは,生きたくない,別に死んでもいいなどと言いながら適当に生きている人なんかではなく,実は毎日を本当に死ぬほど一生懸命に生きている人のことかもしれませんね!

分かりません。

でもこういうことは考え続けていきたいです。

答えを知るために。

そして初めから答えなんて無いと知りながら延々と続ける議論が,本当は一番楽しいのかも。。。

 

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